「攘夷」決行と佐賀藩(10) 伊藤昭弘
5月10日以降も、佐賀藩にはさまざまな情報が届いていた。5月12日に在江戸の御徒目付が発した「風説」(「内密書」収載)には、外国奉行菊池伊予守隆吉・柴田貞太郎剛中、及び老中格小笠原図書頭長行による「応接」の様子が記されている。それによれば、同7日、菊池・柴田らはイギリス軍艦において「応接」に臨み、条約の存在を理由に償金支払を伝え、そのうえで、今後同様の事件が起きた場合に償金を支払しかねること、及び人心動揺などを理由に、鎖港の意を表明している。その後小笠原が横浜へ着き、9日に償金支払を実行した。
償金支払は4月21日在府幕閣においていったん決定されたが、5月7日のに撤回されたため、小笠原は独断で償金支払を実行したのである。この経緯についても、「内密書」には逐一記されており、いったん楽観的な見方を採っていた佐賀藩にとっては予期せぬ展開をみたが、結局は償金支払が実現したことで、日英の即時開戦の可能性は消滅した。
ただ依然として、佐賀藩にとって緊張した状況は続いた。6月7日の武家伝奏より諸藩へ宛てた通達は、攘夷期限をやり過ごし、「傍観」の立場を採った藩の存在を天皇が深く憂慮しているとし、唯一「兵端」を開いた長州藩を応援し、一致して決戦に臨むよう命じている。この段階では「応援」という表現だが、同13日武家伝奏野宮定功の通達は、同5日のフランス軍による長州藩に対する報復攻撃・下関上陸に言及し、「援兵」を出すよう促している。野宮は同日小倉藩へも、下関での「醜夷掃攘」を命じた。幕府(在府幕閣)の方針に従ったとはいえ、攘夷期限を「傍観」したかたちとなった佐賀藩(・福岡藩)にとっては非難されたも同然であり、かつ長州藩への「援兵」という難題を突きつけられた格好となった。佐賀藩は、日英交渉妥結に安堵したのもつかの間、長州藩と諸外国との戦争に巻き込まれる危険を抱え、朝廷からは攘夷決行に向けたプレッシャーがかけられ続けた。
しかし一方で、朝廷の意志とは相反する内容の通達が幕府から届いた。6月15日に佐賀藩が福岡藩より入手した在大坂の幕府老中の通達は、横浜での鎖港交渉が決しないうちは、軍事行動を起こさないよう命じている。幕府にとっては「攘夷=鎖港交渉」であり、長州藩の如き軍事行動は、朝廷より攘夷を委任された幕府の意向から大きく逸脱した行為であった。
朝廷・幕府から異なる命令が届くなか、佐賀藩は如何なるスタンスを採ったのか。7月に武家伝奏へ藩主直大名義で提出した意見書では、佐賀藩あくまで長崎警備に専念し(長州藩へ援軍は出さない)、かつ「攘夷=三港鎖港」である、との立場を明らかにした。さらに8月に、やはり武家伝奏へ直大名義で提出した意見書には、幕府の指示次第で「掃攘」(ここでは、武力行使も含んだ意味か)を実行すると表明した。
9月1日、孝明天皇が一橋慶喜に対し鎖港交渉着手を命じ、同13日には老中板倉勝静が、翌日からの鎖港交渉開始を表明した。さらに10月18日、老中は諸藩へ「攘夷に関する指揮権は全て幕府にあるので、その命令無しに軽挙を起こさないように」と通達した。
鎖港について、朝廷・幕府(の中の諸勢力)・諸藩の思惑はさまざまであろう。しかし表面上は、佐賀藩が5月10日の攘夷期限以前(直前)から採用した「幕府による鎖港交渉に従う」という路線が、「公武御一和」のなかで進められることとなったのである。
以上、全10回にわたって文久3年の佐賀藩について検討した。佐賀藩は、幕府の鎖港交渉通達を根拠に5月10日の攘夷決行を回避し、攘夷=鎖港交渉という路線を採用した。さらにいえば、朝廷から幕府に攘夷が委任され、幕府の指揮に諸藩が従うという、ある意味「公武御一和」のひとつのかたちを佐賀藩は主張し続けた。その主張が実際に、中央の政治・政局にどう影響を与えたのか、は別として、攘夷=鎖港交渉がいわば国論となり、佐賀藩の意見は実現したことになる。
佐賀藩は、なぜ鎖港を支持したのか。さらにいえば、鎖港が実現しなかった場合、本気で武力行使も辞さない、と考えていたのだろうか。文久3年7、8月に朝廷へ提出した意見書が佐賀藩の本音である、と考えるべきか、それとも、鎖港交渉を支持したのはあくまで武力行使回避のためであり、とりあえず時間稼ぎをして、攘夷の気運が沈静するのを待とうと考えたのか。この点の解明は、今後の課題である。
また、本稿を成すにあたり感じたのは、文久3年5月10日を挟んだ前後3ヶ月ほどの、佐賀藩を取り巻いていた緊迫した空気である。そうしたなか、佐賀藩は情報を収集・分析し、分裂した朝廷・在京幕閣と在府幕閣のあいだで苦慮しつつ、戦争回避・(佐賀藩が望む)「公武御一和」の実現を目指したのである。本稿から、そうした緊迫感を感じていただければ、筆者にとっては幸いである。 (完)
参考文献
佐藤隆一「攘夷・鎖港問題をめぐる老中水野忠精の情報収集」(佐々木克編『明治維新期の政治文化』、思文閣出版、2005年)
佐賀県立図書館編集・発行『佐賀県近世史料』第1編第11巻(2003年)